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マンションの注文建築「コーポラティブハウス」vol.89 


都心・安い・自分仕様
コーポラティブハウスの魅力

都市景観を語る言葉 (20)物語

(株)アーキネット代表 織山 和久

フランス語ではhistoireという同じ言葉で、物語と歴史を表すという。人々は、自分の物語を積み重ねながら、過ごしてきた年月を織り込む。日本経済新聞の人気連載欄「私の履歴書」では、財界・政界・学界などの著名人が一生を振り返る。闇米家業の手伝い、いじめ、社内の造反・不正、出店失敗、指南役の登場と飛躍、など、波瀾万丈の生涯が語られたりする。筋書きやエピソードはそれぞれだが、だれもがこうした物語をつくっている。

都市空間は、このように人々が自分ならではの一生の物語を重ねていく舞台装置である。

話にならない都市

東京都の長期ビジョン 俯瞰的な視点から、高層ビルと幹線道路で仕切られた都市イメージ

 一人ひとりの物語であるが、舞台装置が薄っぺらいと物語の中身もこれにひきづられて痩せてしまう。こうした薄っぺらい都市空間には、いくつか共通点がある。まず統治者の立場が優先されている(作家)。東京都長期ビジョンでも、「世界一の都市・東京」という生活者には縁遠いスローガンや、オスマンや後藤新平といった集権的な都市計画家を讃えた姿勢によく表れている。独裁国家の計画都市が典型的だが、官邸や看守からの見通しといったひとつの視点ばかりが優先されて、何でもそこに通じるような構成(単視点)。オフィス街や巨大団地、監獄のように、道を奥へと進んでも、どこも同じ代わり映えしない光景(一様性)。どこに行くにもまっすぐに決まった通りで、寛ぎや出会いなどの記憶のとどまる場所がない(無帰的)。モノやサインが並び、イベント等が開かれるにしても、心が動かされない(外的焦点化)。こんな舞台装置では、まるでビッグブラザーの管理するオセアニア国である。あるいはカフカ「城」など人間性を奪われる物語とか、修身の教科書っぽい物語ばかりができてしまいそうだ。

このように一握りの人間の発想の元、大人の事情で計画された都市は、「いいとしこいて、話にならない」と言おう。

一人ひとりに豊かな物語は、これとは対照的な都市空間でつくられる。

語り手

物語は、作家のものではない。一人ひとりの語り手が自分の視点で展開するものである。

大岡昇平の『レイテ戦記』は、飢えや病に苦しんで凄惨な最期を遂げた一人ひとりの思いが語られる。舞台として島々の密林空間が、崖、叢林、泥道や芋畑など生々しく立ち現れる。そうした語り手の立場は「山本五十六提督が真珠湾を攻撃したとか、山下将軍がレイテ島を防衛した、という文章はナンセンスである。真珠湾の米戦艦群を撃破したのは、空母から飛び立った飛行機のパイロットたちであった。レイテ島を防衛したのは、圧倒的多数の米兵に対して、日露戦争の後、一歩も進歩していなかった日本陸軍の無退却主義、頂上奪取、後方攪乱、斬込みなどの作戦指導の下に戦った、十六師団、第一師団、二十六師団の兵士たちだった。」という作家の言葉に明快に表わされている。カエサルのように「来た、見た、勝った」という上からの視点とは対照的である。

一人ひとりの素敵な物語が紡がれる都市は、統治者や都市計画家、ディベロッパーによる鳥瞰的な視点ではなく、そこで暮らす人々の地に足の着いた視点(アイレベル)から編み出されるものなのだろう。

多視点

都市に暮らす人々のそれぞれの視点、異なった価値観が尊重され、お互いの出会いから豊かな対話が生じる。

芥川龍之介の『藪の中』は木樵り、旅法師、放免、媼、多襄丸、女、死霊のそれぞれの視点で事件を語り、渦中の夫婦の複雑な心理の綾が浮き彫りにされる。ミラン=クンデラ『冗談』も、絵葉書に冗談で書いた言葉によって翻弄される運命が、男女四人独白によって多声的に構成される。最後には「私は(かつては私のものでもあった)彼のオーケストラが午後の終わりまえにコンサートを開くことを思いだし、いっしょに演奏してもいいかと頼んだ。」とふたたび結んでいく。これらは、それぞれの視点の違いとその綾から豊かな物語がつくられた好例である。

都市空間は、一人ひとりがそれぞれの視点から豊かな意味が引き出すものである。子ども、父母、歩行者、清掃員、駅員、乗降客、販売員、警備員、同級生、教師、塾講師…、とさまざまな人々がときどきに立場を違えてお互い関わり合う。グローバル企業のために、といったひとつの視点で統制されるものではない。高齢者だって介護されるだけの存在ではない。

多様性

豊かな物語の舞台となる都市空間は、道筋も入り組んでいて、おもいがけない場所に移り、その先にも謎がある。

ジェイムズ=ジョイスの『ユリシーズ』では、ブルームは自宅から肉屋、郵便局、墓地、競売所、図書館、食堂、市街、バーなどダブリンのあちこちに移動し、さまざまな出会いがあって予想・想念が絡み合う。「それから船員宿泊所を通り過ぎると、彼は波止場の騒音に背を向けて右に曲がりライム通りを歩いて行った。ブレディ共同住宅のそばで使い走りの少年が臓物のバケツをぶら下げ、…」といった具合だ。萩原朔太郎の『殺人事件」の場面転換も意外性に富む。「とほい空でぴすとるが鳴る。/またぴすとるが鳴る。/ああ私の探偵は玻璃の衣装をきて、/こひびとの窓からしのびこむ、/床は晶玉、…」。

ピストルは困るが、人は思わぬ事態や意外な展開、偶然の出会いを交えて生きている。大通りから横丁、路地、路地裏とどんどん分岐し、脇道や抜け道もここかしこに通る。街の中心に広場があって、そこの市場に人々が集まる、辻々にちょっとしたたまり場がある。物語が多様に展開される都市空間は、道筋や場所にこうした多様性がある。

再帰的

また、時の流れも記憶とともに、過去に遡ったり、将来に跳んだりして、現在の自分の姿が浮かび上がる。

ガルシア=マルケス『百年の孤独』の冒頭、「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したに違いない。…」がその見事な例だろう。ガッサン=カナファーニーの『ハイファに戻って』でも「彼はどの曲がり角も、石ころの一つ一つに至るまで知りつくしていた。…今、彼は自分がその苦い二十年のあいだ、ここから離れていたとは思えなかった。」

このように隅々にまで人々の様々な記憶が宿るような街が、自分を振り返りながら自分を取り戻すことを促す。ある日、大型再開発事業が始まって、自分たちの都市の記憶が一切失われるようでは、こうはならない。

内的焦点化

そして様々な光景が、自分の意識と響きあう。

ヴァージニア=ウルフ『灯台にて』では「それから気持ちを落ち着かせ、灯台の光、あの三度目に放たれる長くしっかりとして光の一投を迎い入れるべく、静かに目を上げた。あれはわたしの光だ。」といった調子。梶井基次郎『檸檬』でも、得体のしれない不安に対して「何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。」と、心象風景が都市風景と重なり合うようにして伝えられる。

こうした都市風景は、一人ひとりに身近で等身大である。それだから自分の心と親密に響きあう。巨大なビルには威圧されてしまって、自分の心象を重ねることは難しい。一人ひとりの物語が豊かになるのは、ヒューマンスケール(人間の尺度)の都市なのである。

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築地場内 場内は通り・横丁・路地で構成され、ターレーや買い物客が慌ただしく行き交う。一つ一つのコマにある仲卸店には、若手からベテラン、おかみまで働く人々の一生が詰まっている。

小津安二郎そして原節子の代表作『東京物語』。背景は、駅ホーム、改札口、荒川土手、銀座、ガード脇の居酒屋、通りの美容院、同潤会アパート、浄土寺、実家等がローポジションで展開される。こうした記憶に刻まれる都市風景が心象風景と重ねられながら、年老いた夫婦とその家族の姿が、それぞれの語りを交錯させて浮彫りにされる。

豊かな都市とはこのように、一人ひとりの物語が豊かになる空間である。それも楽しい物語であってほしい。経済指標だけで豊かと言うものではない。わたしたち一人ひとりの『東京物語』、これからの東京で本当に豊かに展開することができるだろうか。

筆者プロフィール
株式会社アーキネット代表。土地・住宅制度の政策立案、不動産の開発・企画等を手掛け、創業時からインターネット利用のコーポラティブハウスの企画・運営に取組む。著書に「東京いい街、いい家に住もう」(NTT出版)、「建設・不動産ビジネスのマーケティング戦略」(ダイヤモンド社)他。

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